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海外の想ひで

  • ito-s7
  • 2月18日
  • 読了時間: 5分

更新日:2月19日

ブログ更新が滞っておりましたので、トピックスがない期間に不定期で「海外の想ひで」をアップしていこうと思います。


私が初めて海外に訪れたのは今から30年前のインドネシアです。

その頃は格安航空券もなく、飛行機内で喫煙も可能でした。

まだまだ海外旅行は身近ではなく、仕事や新婚旅行が主流の時代だったとおもいます。

そんな時代になぜ海外へ?と思われますが、その頃の私は、かなりな日本社会不適合者でしたので、社会のサバイバルレースや人間関係の煩わしさに一線を引きながら介護施設で働いていました。そんな時、初めてもらったボーナスと有休で思い立ってインドネシアに行ってきました。

その時の異文化の魅力、人の素朴さ、一人旅という適度なストレスにハマってしまい、そこから、私は味をしめて、30歳までにアジアを中心に24ヶ国に渡航しました。

今は、ビジネスでベトナム、タイ、ミャンマーを中心に渡航しておりますが、あの頃の一人海外体験が今の私を形成していると思います。

その経験から、想いでになっているものを書いていこうと思います。


「バリ島で救急搬送お手伝い」

インドネシアの中でも私が一番好きな場所が、バリ島のウブドという山間部の町です。

このウブドは、各国の芸術家がアトリエを構えていたり、バリ島でも稲作や、歴史的建造物は多く残されている場所です。

バリのデンパサール空港?に降り立ち、当時は車で2時間以上、山道を走ってウブドにたどり着いた記憶があります。

その時は民宿に1週間滞在し、なんの予定もなくふらふら散策する旅でした。

ある日、いつものように民宿のお兄ちゃんに「ジャラン、ジャラン(インドネシア語で散歩の意味)」と言いながら市街地にむけて歩いていました。

確か、歯磨き粉がなくて市内のスーパーマーケットに立ち寄った際、20代くらいの日本人女性が「あの~、日本の方ですか?」と声をかけてきました。

私は、「こんな海外で逆ナンされるなんて😍」と心躍りましたが、そこは日本男子ですので、極めて冷静に「はいそうですが、どうされましたか?」と返事をした所、急に女性は泣き出し、「新婚旅行で来たのですが、主人が朝から嘔吐と体がしびれて動かないんです!ホテルの人にも話したのですが、なんて言っているかわからなくて💦だから、薬を買いに来たけど、どの薬を買えばよいか分からなくて・・・。」「助けてください!

私も正直、インドネシア語は話せませんし、まして薬のチョイスまでできるほど読解力もありません💦

その頃のウブドはまだ、日本人もそう多くはなく、バリ島でもけっこうマニアックな場所でしたので、私に声をかけたのでしょう。

一緒にホテルにいってくれませんか?」平時に言われたらドキドキしちゃうのですが、事は急を要しますので、歯磨き粉片手に、彼女に付いてホテルに向かいました。


ホテルでは、旦那様がベッドの上で真っ青な顔で寝転んでいました・・・。

奥様が旦那様に事情を説明し私を紹介します。

私も介護従事者のはしくれでしたので、簡単な状態確認をしました。

「多分、食中毒じゃないかな・・・?」と思い、奥さんに前日の食事を聞いたところ、旦那様は

前日の街歩きの時に、露店で売っていた「サテ(焼き鳥)」を召し上がっていたようです。

ASEANでは、よく露店が軒を連ねています。様々な料理が並び美味しい匂いが食欲をそそります。しかし、お店によっては衛生面が致死レベルな所もあります。


ちなみに衛生面致死レベル露店の特徴

〇客がいない  〇手が真っ黒*特に爪の中 〇やたら買って!と愛想が良い

〇調理前の食材が乾燥している  〇子供が店番に立っている

この特徴と逆な所はむしろ安全な可能性が高いです!!


*今のバリ島は大丈夫かと思いますが、数十年前の露店の食べ物は基本手を付けないのが、旅行者の鉄則でもありました。


旦那様の状態を確認してから、ホテルの人に医者の手配をお願いしましたが、要は「往診する医者はいない。医者に診て欲しいなら、市街地の診療所まで連れて行かないといけない。」みたいな返答でした。

そこで、私は市街地にある観光客専用のインフォメーションセンターに向かい、ホテルから診療所までの送迎と、診療所の予約をしました。奥様には旦那様に付き添ってもらい、送迎車が来るまで待機してもらいました。

その後、旦那様は診療所で正式に「食中毒」と診断され、海沿いの病院に入院となりました。

なぜか私も、旦那様に付き添い、2時間以上の車移動を経て、病院の手続きまでお手伝いしました。

幸い、2日程度で旦那様は退院され、ホテルに戻ってこられました。

旦那様が入院中、奥様は病院に付き添われていましたので、私がお二人の荷物や食べ物をウブドから病院まで運んだ記憶もあります。


私が帰国する日、わざわざお二人が民宿まで訪ねてきて、お礼を言われました。

お礼以上に気になっていることがあり、満を持して奥様に聞いてみました!

なぜ、私に声をかけたんですか?」と。

すると奥様、少し恥ずかしそうに「店内に入ると、日本語の鼻歌が聞こえてきて、その声を追いかけたら、あなたでした。」

私、知らないうちに鼻歌してたようです。それも「あかる~いナショナール なんでもナショナール 明るい家中 なーんでも ナ ショ  ナー ルー♪」

*これは昭和に流行った nationalのCMソングです。わかる人には分かります!


私のビジュアルや日本人っぽさではなかったです💦

逆ナンだと思った私がバカでした。


それにしても、せっかくのハネムーンで旅程の半分が食中毒騒ぎになったお二人は気の毒でなりませんでした。

しかし、わざわざ空港まで見送りに来ていただき、帰国後も手紙のやり取りは続けていました。


今のように、携帯やスマホはありませんし、インターネットも皆が使えるほど、普及していませんでした。

全てはアナログ、地図を見ながら目的地まで歩く、走る、ガイドブック見て話すが基本の時代でした・・・。

そんな中でも、お二人との想いでは今でも鮮明に覚えています。


後記

私もあの頃、よく露店で「サテ」を食べていたのですが、食中毒にはなりませんでした。。

免疫力と胃の強さは、人によって違うのかもしれませんね😊

ウブド滞在中、ボケーと雲が流れていくのを見て、牛が田畑を耕す姿を見て、道端にある仏像に手を合わせる、あの時間がたまらなく好きでした。








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